2006-08-30

会社はいつ辞めるべきか?あるいは、自由とは何か?

ふと考えた。

自由。自由社会。
自分はいま自由だろうか?
職業選択の自由、恋愛(結婚)の自由、住居の自由、思想の自由

どんな仕事につくか、誰と恋愛・結婚するか、どこに住むか。自分で決められる。

(もちろん相手がある話ではあるが、強制されることはないという意味で自由だ。)

昔のひとに比べれば、たとえば江戸時代の農民とか武家の娘とかよりは、はるかに自由だ。
あるいはどこかの外国、たとえば北朝鮮とかイランとかに比べれば、はるかに自由だ。
自由というだけでなく、豊かで、便利で、安全だ。

また、高校生のときのように、服装や髪形や行動様式についてとやかく言われることもない。基本的に法律と会社の規則さえ守ってればよい。

つまり、昔の人や外国や中高生にくらべたらものすごい自由だということなる。それがサラリーマンという生き物だ。

でもなんか窮屈だ。なんか自由な感じがしない。
それはたぶん、「何をやるか」を上司や会社に
決められてしまっているからだ。
思想の自由があったとしても、「思考の対象」や「集中する対象」は自由ではない。
たとえばビール会社のマーケティングをやっている人であれば、少なくとも業務時間中は、
本来自由であるはずの精神を、ビールとテレビCMに集中しなければならない。
もし業務時間中に新規の通信ビジネスについて思いをめぐらして時間を浪費したら、それは怠惰として厳しく注意されることだろう。l

職業や会社は選べても、部署や仕事や上司は選べない。
Jobは選べてもTaskは選べない。
苦手な仕事や嫌な仕事でもやらなきゃいけない。
「明日どこそこへ出張しろ」と言われたら行かないといけない。住むところは自由でも、勤務する場所は選べない。一日のうちの、起きている時間の大半は、こうやって決められた場所で働き、決められた課題で頭をいっぱいにする。
これがサラリーマン。
フリーターには夢のような額の給料とボーナスは、
不自由の代償。
つまるところ、我々は自由を売って生計を立てているのだ。



自分のタスクを自分で決める、それができるのは芸術家と起業家だけだ。
きっと、そこにこそ本当の自由があるだろう。

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